相続や遺言の相談を受けていると、自分の葬儀や墓地について、これまでの常識とは違った考えを話される方が多くなりました。例えば、次のようなもの。
その趣旨は、遺族に負担をかけたくない、これまでの葬儀や墓地に価値を見い出せない、などということのようです。
NPO法人社叢学会顧問で、都市計画学の学者である上田篤氏が著した次の本を読んでみました。
上田篤『鎮守の森の物語―もうひとつの都市の緑』(思文閣出版、2003年)
この著書の中で、以下のような提案がなされています。
これからは墓地をつくるのを止めて、死者を昔どおりに山に埋葬するようにしてはどうか。昔から、日本の庶民は多く、死んだ人の身体を山に埋めたり、山で焼いたりしてきた。
庶民が平地などに墓地をつくるようになった歴史は比較的新しい。平地だけでは足らず、最近では、山を削って山の斜面に大々的な霊園などをつくるようになった。
現在、大都会に移り住んだ人々は墓を求めてウロウロしている。そこに、現代の商業主義がはいりこんで、大都会近くの山がつぎつぎと削り取られて霊園化している。1基の墓が何百万円もし、維持費が毎年、何万円もかかる。滞納すればすぐ権利を失う。自然を壊す一方、目に見える「無縁墓」を増産しているようなものだ。
他方、これに嫌気をさして、墓をもたない人々も増えてきている。海や空に散骨するするのである。
もっと自然な形で山に埋葬することをこれからのひとつの社会的方向として行ってはどうだろう。つまり、平地や山に墓をつくるのではなしに、山を墓にするのだ。
社寺や市町村が、山の一定の区画を「入らずの山」として、そこに人々が還骨できるように管理する。そして山全体をお墓にするのです。
その「入らずの山」には、墓石も、墓標も一切禁じられる。ただ、骨などが埋葬され、あるいは散布されるだけである。
つまり、人間もまた植物や動物とおなじように山に還るのである。山の森の土になるのである。そこから、また新しい生命が誕生する。生まれ変わる。ふたたび生きる。 |