田中英道『日本の文化 本当は何がすごいのか』

先日読んだ田中英道『美しい「形」の日本』(記事はこちらから)を読んで面白かったので、次の本を読んでみました。

 

田中英道『日本の文化 本当は何がすごいのか』(扶桑社、2013年)

 

著者は、この本を「神道の基本である自然信仰、御霊信仰、皇祖霊信仰をもとに、日本文化を眺めてみた本」だといいます。

 

以下に、著者が自然信仰と日本文化との関係をどのように主張しているかを記してみます。

ヨーロッパは、原始ヨーロッパ人である遊牧民族が、古代ローマ、つまりラテン系と混血してくという歴史であり、そこでは「大移動」と「侵略」がずっと繰り返されてきた。ヨーロッパの人々にとって、歴史的には戦争や闘争はむしろ常態であり、民族の遺伝子(DNA)にもそうした経験が刷り込まれている。

 

ヨーロッパを中心とする世界の文化は「争い」の文化である。武器が、ヨーロッパの文化、あるいは科学・技術を育てたという側面がある。

 

他方、日本人は、争う必要がほとんどなかった。移動する必要もなかった。日本は島国であり、大陸と適度な距離があるために、簡単に攻められない。日本の風土は、比較的温暖で、食料となる動植物が豊富にあった。

 

こうした条件のもとで「争わない」という日本人の生き方が形づくられた。縄文から弥生という時代、土器の時代から銅器、鉄器の時代に至るまで、日本という国の源泉となる人間関係が、基本的に「争わない」という人間関係で維持されてきたということが、遺跡などからわかる。

 

私たち日本人の中には、自然信仰、つまり自然というのは偉大である、その懐に抱かれるようにしてよいという信頼感の一方に、先ほどの地震、津波、雷、台風など自然の過酷な側面も、それは受け入れざるを得ない、どうしようもないものだというふうに思う気持ちがある。

 

西洋は、自然が過酷であり、また常に、他の攻めてくる人々、他民族と争わざるを得ない状況の中で、「争いをどう処理するか」ということに関する宗教、考え方、思想が生まれた。それが「民主主義」や「哲学」だった。市民社会というものができあがってきたのも「争いの文化」のルール作りを通してで、それによって法律が整っていった。

 

ところが、日本人は、元来「自然の中に生きている」ので、ルールなんて要らなかった。自然信仰は日本人の身についたものになっていた。実践の中に示されている教えが日本にはあった。

 

神道は、今日でも、言葉あるいは経典で、その教えが書かれているわけではない。

  

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