先日、宮脇昭『森の力 植物生態学者の理論と実践』を読んだ(記事はこちらから)ところ、面白かったので、同じ著者の次の本を読んでみました。
宮脇昭『鎮守の森』(新潮社、2007年)
本書は、植物生態学などの専門書ではなくて、「宮脇哲学」の入門書という感じがします。著者は、「あとがき」で、読者に対し、次のように熱く語りかけて、本書を締めくくっています。
既に議論の時代は終わった。30億年以上続いてきた生命の細い遺伝子の糸を間違いなく未来に向かって維持し、発展させていくために、われわれはまず木を植えなければならない。それも、潜在自然植生に基づいた、本物の木を。社会や文化の基盤、心や魂のふるさとになる21世紀の鎮守の森を、実際に一人一人の手でつくりあげねばならない。 |
本書を読んで特に印象に残った事項を、以下に2~3採り上げてみます。
植物が長く生き続けられる生態学的な条件とは、生理的な欲望がすべては満たされない、少し厳しい、少し我慢を強要される状態である。これが一番健全な状態で、最適条件という。これに対し、生理的な欲望をすべて満たしてしまう最高条件の状態では、生命は長持ちしない。
競争しながら共生し、そしてお互いにどの樹種もどの個体も我慢を強制されている。我慢のできない生き物は、地球上では一時も生きていけない。
植物の社会は、生物社会の秩序の原型を示している。
鎮守の森とは、実は最もダイナミックに安定した1つの森社会である。そこでは高木、亜高木、低木、下草、土の中のミミズやカビ、バクテリアなど、また林縁にはマント群落、ソデ群落が、その土地の地形、土壌条件の中で、限られた空間や養分の奪い合いをし、せめぎ合い互いに少しずつ我慢して共生している。
鎮守の森は、単にそれぞれの地域のシンボル、景観として、あるいは固有の観光資源として使われるだけでは不十分である。また、防音、集塵、防火など個別の環境保全機能や地球規模で酸素を供給し、炭酸ガスを吸収する機能があるという発想で見るだけでは一面的にすぎる。鎮守の森が秘めている奥深い、現代の科学・技術、医学、あるいは宗教を通しても、まだすべてが解明しきれない多様な機能を我々はもう一度じっくりと見直すべきではないか。 |